はじめに、

12/16/2025

生成AIが世の中に溢れてから早3年。バケツの水は溢れた。

彼らの影響は偉大だ。ネットだけでなく個人の脳内までもが質量の軽い言葉で溢れかえっている。

聞けば「すぐ」答えてくれるし、論調のもっともらしさも飛躍的に向上している。言葉巧みに並べて人間を圧倒してくる存在だ。

このおかげで、創作活動を含む様々な場面の一部または、ほぼ全ての状況下で彼らの影を感じながら過ごすようになっているだろう。もちろん、「生成AIは一切使わない」というスタンスの方がいるのも承知だ。

ちなみに私は、仕事では生成AIを存分に活用する。良い面も悪い面も向き合っているつもり。

むしろ、効率や最適化が求められる場面では最大限活用できると良いとすら思っている。

これから「使ってよかった生成AIツール」なんて記事を出すかもしれない。それくらい、幾つものツールに課金して日々活用している。

その中で、なぜ今、文字媒体を選択したのか自分に問いたい。

彼らの影は濃い。まるで大空を覆う夏の分厚い雲のようだ。

多くのインターネットメディアを筆頭に様々なメディウムを持つ媒体が、生成AIで生成されたことばを受け入れ始めている。

高校数学で電卓を使うのは許されなかったが、大人たちがAIで記事を書く行為は比較的早く受け入れられつつある。それも「効率化」という名のもとだろうか。

創作という場面において、彼らの存在は脳と現実を繋ぎ合わせる手にもなり得る。絵を描くのが苦手な私にとって「自然言語から生成するという行為」は能力拡張を感じられた瞬間だった。ただし、時として独立して動き人間が彼らの手と化す。いつのまにか、copy & paste そして Enterだけを押す機械になっている自分がいるのも事実だった。まるで身体が、大きな指になってしまった感覚だ。

そんな状況がこれ以上自分の人生を侵食するのを防ぎたかった。自分の言葉で、創り出す意味を形にしたかった。仕事の場面で求めている「最適化」「効率化」だけで全てを覆いたくなかった。

ゆるくて良い、気張らずで良い。創作は人間の愉しみなのだから。